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     散文芸術論争
        ──同時代の文学的課題と佐藤春夫の位置
 

       はじめに

 散文芸術論争の発端は、広津和郎が大正十三年九月に「散文芸術の位置」を発表したことにある。この文章は、広津の里見弴の芸術論に対する反発、そして有島武郎が大正十一年当時に示していた芸術家の類別とその根底にある発想への批判を執筆の動機としている。そのためこの論争は、広津と有島の間で主に争われた宣言一つ論争、また里見弴と菊池寛の間で交わされた内容的価値論争という大正十一年に起こった二つの論争を直接に引き継ぐ形で行われたと言うことができる。
 そうした経緯を踏まえた上でこの論争の特殊性を指摘するとすれば、それは論争の名前が示す通り、「散文芸術」を他の芸術から独立したものとして措定し、散文芸術の独自性を抽出しようとする意志がこの論争において初めて明確に提示されたことにあるだろう。大正期末年のこの時期に起こった論争はすべて、芸術の価値とは何か、芸術の芸術性の源とは何か、芸術はどのように社会に関与すべきかといった問いを巡って展開されていた。散文芸術論争はその中にあって、芸術全般を問題にするのではなく、散文芸術独自の性質を指摘した点にその顕著な特色を示している。散文芸術が本来的に社会に相渉る性質を持っていると強調することによって ★色番号塗装発送LEXUS LS リアバンパーカバー / リアハーフ【ロジャム】LEXUS LS 40系 後期 IRT リアリップスポイラー LEDレス Ver、社会との交渉と芸術的価値との双方を同時に確保する道が開かれることになったのである。同時代の文学者たちが共有していた問題意識に一つの解決を与えたことにおいて、またこの論争において示された散文芸術観が大正末年の心境小説論と心境小説群の隆盛とを決定的に方向づけたことにおいて、非常に重要な論争である。
 本稿ではこの論争を通して同時代の文壇の抱えていた問題系を抽出しその時代性を検証するとともに、特に佐藤春夫の芸術論に注目してその位置づけを確認していくことにしたい。

       一

 広津和郎は「散文芸術の位置」(大13・9)において、次のように述べている。
近代の散文芸術というものは、自己の生活とその周囲とに関心を持たずに生きられないところから生れたものであり、それ故に我々に呼びかけるところの価値を持っているものである。(『広津和郎全集第8巻』中央公論社、435頁)
 このことは論の末尾で、「沢山の芸術の種類の中で、散文芸術は、直ぐ人生の隣りにいるものである。」(436頁)とも言い換えられている。広津は近代の散文芸術を音楽、美術、詩といった他の芸術ジャンルから区別し、散文芸術独自の性質を鮮明にするべきことを説いている。そして、「直ぐ人生の隣りにいる」こと、つまり社会や生活との結びつきが強いということに「散文芸術の一番純粋の特色」(437頁)があると論じたのである。
 生田長江の批判を待つまでもなく、広津のこの文章は論理的には欠陥を抱えている。一つには、生活や人生との結びつきを散文芸術の「一番純粋の特色」であるとしつつも、抽象的な表現を弄するのみで何を以て人生に近いと見なしているのかについての詳細の提示がされていないこと、また一つには、散文芸術を他のジャンルから切り離すことにのみ執心して、何を以て芸術性と見なすのか、散文芸術を芸術外の文章からどのように区別するのかが検討されていないことが指摘できる。広津自身が後に認めているように、この文章は余りに曖昧であり、不用意であったと言わざるを得ない。
 しかし一方、この文章が同時代の既成作家たちが抱えていた問題意識を的確に捉えていたこともまた事実である。菊池寛は内容的価値論争の起因となった「文芸作品の内容的価値」(大11・7)という文章の中で、次のように書いていた。
私は、芸術が芸術である所以は、そこに芸術的表現があるかないかに依つて、定まると思ふ。が、その定まつた芸術が人生に対して、重大な価値があるかどうかは、一にその作品の内容的価値、生活的価値に依つて定まると思ふ。/私の理想の作品と云へば、内容的価値と芸術的価値とを共有した作品である。語を換へて云へば、われくの芸術的評価に及第するとともに、われくの内容的評価に及第する作品である。(『菊池寛全集第22巻』高松市、479・480頁)
 菊池はここで、作品の芸術性が表現によって規定されるものだということをひとまず述べた上で、そうした「芸術的価値」とは別に「内容的価値」というものが措定できると論じている。菊池は「人生に対して、重大な価値があるかどうか」を基準とするこの「内容的価値」を重視し、「芸術」はもつと、実人生と密接に交渉すべき」(479頁)であると自説を展開したのである。
 菊池は里見弴の反駁に答えた「再論『文芸作品の内容的価値』」(大11・9)において、「内容的価値」とは作品の素材・題材に関する価値であると言明している。「内容的価値」は作品の芸術性に関与する問題ではない、しかし自分が特に魅力を感じるのは「人生に対して有効な意義のある素材」(491頁)を扱った芸術であり、また同時代の読者の要求もそこにあるのだと論じているのである。この菊池の説は、絵画彫刻に比して文芸は「題材として、人生を直接に取り扱ひ得る」「人生と交渉し得る」(「文芸作品の内容的価値」、479頁)ということを「文芸の士の特権」と見る考えがその根拠となっている。現実に即した題材を要求することが、ここでの菊池の論の主眼であったのである。
 散文芸術論争における広津の立場は、菊池寛の提示した「内容的価値」の問題を引き継いだ地点にある☆日立オートパーツ&サービス・MRリンク・オルタネータ☆代表純正品番:23700AA000HITACHI 品番:LR160-138165/55R15 サマータイヤ タイヤホイールセット 【送料無料】 Verthandi YH-M7 15x5.5 43 100x4 BLACK + Economist ATR-K 165/55R15 75H (165/55/15 165-55-15) 夏タイヤ 15インチ。広津は「散文芸術の位置」において、散文芸術が「人生に直接に近い」という特性については詳細を示していないが、それは広津は菊池の論を前提していたためと考えることができるであろう。広津は散文芸術が現実に即した題材を用い、それを通して作者自身の思想を盛り込むのに適した表現形式であることを菊池と同様に重視し、それを指して「人生に直接に近い」と述べていたのである。
 しかし、佐藤春夫からの共鳴と生田長江からの批判とを経過した後に書かれた「再び散文芸術の位置に就いて」(大14・2)では、広津の論は微妙にその意味合いを変えている。広津はこの中で次のように論じている。
純粋な美、それは音楽からも絵画からも、詩からも抽象し得る所謂第一義的な芸術意識に訴えるもの、功利の意味を少しも含まない第一義的な芸術美以外に、第二義的な芸術美がある。我々が日常見ている生活に近い美、純粋な第一義的な美に対して、これを何と説明したらいいか。生田氏は芸術意識と道徳意識とを分けていられたが、それのまざり合った美、広い意味で道徳意識と云ってもいいが、それでは誤解される恐れがあるから、もっともろもろの人生的要素とまざり合った美、(中略)現実的な卑近美がある。(『広津和郎全集第8巻』447頁)
 広津はここで「第二義的な芸術美」「卑近美」のように、芸術的価値としての「美」というものをはじめて提示している。これは、佐藤と生田の論に触発されることによって、散文芸術を芸術として成り立たしめるものは何か、散文芸術を芸術外の文章からどのように区別するのかといった問いに一応の解決を与えるために提示された概念と言うことができよう。しかし、広津自身も自らの学的説明の不得手を認めているとはいえ、ここでの説明もまた不明確と言わざるを得ない。結局何を以て「美」となすのかが的確に示されておらず、「美」という語の内実が全く不明なのである。広津は当初、菊池に依拠して題材の問題として「人生の隣りにいる」という散文芸術の特徴を認識していたと考えられるのであり、ここで突如登場した「美」という概念自体が後付けの曖昧さを免れ得ないことは自明であろう。広津は、芸術の芸術性そのものを問う姿勢には欠けていたのである。
 この文章において、広津は「卑近美」を「それ自身が独立したところの、それ自身であるという事で純粋な美である」(448頁)とし、「道徳的乃至人間的であればあるだけ、或は又広く人生諸活動との交渉が深ければ深いだけ、それだけ益々芸術的感銘の強い一種の芸術がある。」(449頁)と、散文芸術の芸術的価値・芸術的感銘もまたその卑近美からこそ発するのだと強調している。菊池と多く問題意識を共有していた広津は、ここで菊池の説を一歩展開して示している。芸術的価値や芸術的感銘は「芸術的表現」からくるものと考え、それとは別に「内容的価値」というものを主張していた菊池に対して、広津は敢えて菊池の言うところの「内容的価値」の側面こそが芸術的価値そのものなのだと言い切って見せたのである。
 後で詳細に検討するが 【USA在庫あり】 アイコン ICON 秋冬モデル ジャケット MH 1000 レディース 黒 2XLサイズ 2822-1056 JP店、散文芸術の芸術的価値をその散文芸術性そのものに求めるという発想の提示に関しては、佐藤春夫の「散文精神の発生」がその最初であり、「再び散文芸術の位置について」の広津に先んじている。広津のここでの説明は、佐藤の論に触発されて引き出されたものと考えられるのである。しかし、自らの芸術論の披瀝という側面の強かった佐藤の文章に対して、先行する論争の問題系を踏まえながら同時代の多数の文学者に共有されていた問題意識に寄与していこうとした点において、広津の説の方がより強い文壇的な影響力を発揮したことは確かである。広津の主張は論理的整合性には欠けていたものの、強調しているメッセージそのものは確かなインパクトを持って文壇全体に認知された。同時代の文壇は、社会情勢の変動とプロレタリア文学の勃興など文学地図の転換に大きく揺れていた時期にあったのであり、いくつかの論争において議論されていた文学の芸術性と文学の社会への関与という課題はそうした状況において生成されてきていた。「人生諸活動との交渉」が直接に「芸術的感銘」に繋がるとする広津の説は、この問題に対して、一つの理想的で円満な解決を示すものである。広津はこの一連の論において、文学者の芸術意識と社会問題に対する意識に関して一つのモデルを提示し得たのである。

       二

 佐藤春夫は大正十三年十一月に「散文精神の発生」を発表した。佐藤はこの中で、広津の「散文芸術の位置」への賛意がこの文章を執筆した動機であると述べており、確かに近代の散文芸術を独自の特色を持つものとして位置づけようとする意図においては共通しているものの、実際に展開されている議論は広津とは方向性を異にしているように思われる。
 この文章では、詩と散文とをいかに区別するかということが強調されている。佐藤はこの中で、「詩的精神」と「散文精神」という対立概念を提示し、近代の所産としての「散文精神」を高調しているのである。佐藤はこの二者を次のように説明している。
詩的精神の伝統は秩序ある均衡、統一、調和だと云ふことはすでに言つた。さうしてそれに対抗するところの散文的精神とは、詩的精神とは全く反対なものである。無秩序、無統一、無調和、即ち混沌そのものである。(中略)しかもその混沌のなかに我々は美そのものを発見するのである。/詩に対抗するところの散文、即ち近代の散文に於ては、我々は詩的価値から言つて何の統一をも調和をも見出され得ないやうな芸術で、しかも我々にアッピールすることの詩的なもの以上な何物かがある事を屡々経験する。さうして具さにそれを見る時にそれは混沌そのものを、それの真実を、又それを散逸的なものたらしめないやうに支持してゐるところの或る力を、混沌のままに捉へ来てゐることにあるのを知る。さうしてそれが美以外に、先づ真実として我々を動かすことももとよりであるが、また美としてさへも十分に感ぜられるのである。しかも前述のやうな詩的の美とは甚だ相遠いものである。この見なれないところの美を私は散文精神のそれと呼び即ち又それは混沌の美だと言ひ切つても差支ないと思つてゐる。(『定本佐藤春夫全集第19巻』臨川書店、316頁)
 佐藤は「混沌」という言葉をこの文章の中で繰り返し用いているが、「混沌の世界」(315頁)、「混沌たる実生活」(316頁)といった表現から看取されるように、佐藤は現実の世界や実人生の様相を「混沌」としたものとして捉えていたのであり、散文芸術はその現実の「真」の姿を表し得る芸術形式として理解されていたことがわかる。しかし、散文芸術は「真実」を示すから価値があるのでなく、その「真実」の表現を通して「混沌の美」という特殊な「美」に到達しうるからこそ芸術的価値を帯びるのだと佐藤は論じている。そしてその「混沌の美」の源泉として措定されているのが、「詩的精神」の対立概念としての「散文精神」なのである。
 佐藤と広津の共通性は、ともに「近代の散文芸術」を問題とし、散文芸術の独自性をそれが近代の所産であることに求めている点にある。佐藤が広津に共感を覚えたのはこの点であったと言えよう。しかし、広津が文壇に対する現実的な関与を最も強く意識していたと思われるのに対して、佐藤の場合は芸術の芸術的価値の探求にこそその力点がある。詩との対比において散文芸術の独自性を主張したのもその芸術論の一環としてなのである。また、広津が主として題材に関わる問題から「人生諸活動との交渉」という散文芸術の特性を引き出していたのに対し、佐藤は徹底して散文芸術独自の「美」の措定にこだわっている。こうした散文芸術の芸術的価値の意味づけにおける落差は、両者の文学者としての姿勢における根本的な違いから来ていたものと言えよう。
 佐藤は散文芸術に「混沌の美」という芸術的価値を与える源泉として、「散文精神」という新たなタームを提示したのであった。この散文精神は、別の箇所では次のように説明されている。
この混沌の美が発見されると同時に、散文はその形式に対して、甚だふさはしい一つの精神を発見したのである。この散文精神は言ひ換へれば、あらゆる近代主義の精神とも言ひ得る。即ち主観に即した統一や調和から解放されて、主観が文芸の天地を支配する代りに、観察が混沌たる実生活を混沌のまゝで認めたものが即ち自然主義精神であり、自然主義の勃興はやがて散文精神の全盛になつた。浪漫主義のなかにすでに胚胎してゐた散文精神は、自然主義の洗礼によつて完全に誕生した。(316・317 頁)
 ここでは「散文精神」が「近代主義の精神」「自然主義精神」とも言い換えられている。この「精神」という語が佐藤の説の根幹であると思われるが、ではその「精神」とは何であるか。字義通りに考えると、佐藤がこの言葉を通して芸術家主体の属性を問題にしていたと想像するのは自然であろう。佐藤の芸術論は、芸術家論とも言い得るものであったのである。
 佐藤のこの文章に纏わる疑問点を整理しよう。佐藤は詩人として出発し小説家となった文学者であるが、佐藤が特にこの時期に詩と散文との区別を問題にし、「散文精神」を提唱することになったのは何故なのか。文芸作品の芸術的価値を作家の属性としての「精神」に求める発想は佐藤の芸術論において一貫したものなのか否か。そしてこうした「精神」の措定が同時代の文壇の文脈においてどのような位置を示すものなのか。佐藤が大正期に発表したその他の芸術論を参照しながら、こうした疑問点について考えていくことにしたい。
 大正八年八~十月の「創作月旦」において、佐藤は次のように書いている。
私は中戸川君のこの作品には少しも詩がないやうに思つて気に入らないのである。乃至は中戸川君の「詩」とするところが私の「詩」とは違つてゐるのである。(中略)私は何なことを「詩」といふか。私の「詩」といふのはありのままでは決して満足しない精神を言ふのである。その精神は積極的に動かうとして居てもいい。或は消極的にでもいい。或は何の目標もなしに彷徨して居てもいい。それを私は私の言ひ方でロマンティックスピリットと呼んでもいいと思ふ。がこんなところへ、今あまり柄にもなく深入りするのをやめよう。併し念のために一言添へるけれども私は「詩」のある作品がよくてそれの無い作品が必ず悪いといふ風な尺度を設けやうといふのでは、もとよりない。ただ一般としては「詩」のある作品を、私が好くといふだけである。(『定本佐藤春夫全集第19巻』100・101頁、傍点原文)
 これは、月評において中戸川吉二の小説作品に言及する中での発言である。佐藤は小説即ち散文芸術に対して、「詩」ということを求めている。この「詩」が文芸ジャンルとしての詩そのものでなく、概念化された芸術的価値としての「詩」であることは言うまでもなかろう。しかしまた、文芸ジャンルとしての詩の特性を基準として設定された概念であるからこそ、「詩」という名を得ていることもまた明らかではないだろうか。佐藤はここで「詩」のことを、「ありのままでは決して満足しない精神」と「精神」という語を用いて説明しているが、これはのちに「詩的精神」と名づけられるものを指していると考えることができる。大正八年当時の佐藤春夫は、未だ散文芸術に散文芸術独自の芸術的価値を見出してはいない。むしろ積極的に、「詩的精神」のある散文芸術こそを好むのだと言明しているのである。
 佐藤はこの「詩」について、大正八年十二月発表の「『詩』といふこと」では次のように説明を展開している。
私が「詩」といふのは、人間の正体の知れない大きな寂しさを最も激しく感じて現世の相を楽しむにつけ、悲しむにつけ、苦しむにつけ、常にこの寂しさを現世の諸々の感情と同時に一度に感ずること、さうしてその強迫観念の不満、寂しさに逐はれて或る者は目的もなく彷徨し、或る者は彼の認めた理想界へ絶望しながら憧れ、或る者は深く己の中に沈潜して、その他彼自身に最も適応した方法でその一般の人々が無いかも知れないと感ずるであらう何ものかに強く心を惹かれる。又、それによつて、彼の心が高揚するのを感ずるであらう。その心の状態の諸相を『詩』と私は呼んでゐる。(115頁)
 ここでは「詩」が「心の状態の諸相」であると述べられており、「詩」が芸術家主体の精神性を指していることがより明らかにされていると言えよう。そして、翌月の大正九年一月には「芸術家の喜び」という題名の文章が発表されている。ここでは「真の芸術家の喜びとは何か」が問われ、また「真の芸術家の精神が最も必要なこの時代」という認識のもとに、芸術の職業化を批判する論が提示されている。佐藤の芸術論が芸術家論としての様相を強く帯びたものであり、芸術の価値を自明のものとして前提した上で、芸術の芸術性を追求することがその最大の意図であったことが、これらの文章から看取されるであろう。佐藤は元来芸術と社会との関わりには積極的な関心を持っていなかったのであり、その点でも散文芸術論争における広津と佐藤の位相差は歴然としているのである。
 この「芸術家の喜び」において注目されるのは、「芸術的禅宗」と題された章である。
「内容さへあれば表現などはどうでもいい。」/これ確かに真実である。すべての真実と同じく言ふ人の如何によつて真実である。しかしそれが中途半端でとどまる時には、危険なる言葉である。或は全く無意味なる言葉である。寧ろ言へ。/「内容さへあれば表現しなくともよい。」と。/さうしてかう言つた時に、表現そのものに無限の信を措くところの所謂芸術からは離れ去つたことを私は知る。併し同時にそこに又尚ほ別の芸術境地あることをも知る。東洋芸術の精神は一味そこに相通じてゐる。この境地は芸術であつてやがて同時に宗教である。/かくの如き芸術精神は言はば当に芸術上の禅宗とも言ふべきであらう。(121・122頁)
 この時期に文壇において取り沙汰されていた内容偏重論に対する佐藤の皮肉が述べられた箇所であるが、関心を引かれるのは後半部分、「東洋芸術の精神」ということを指摘している所である。大正期に佐藤が積極的に芸術論を展開していた時期としては、この大正八・九年と、「散文精神の発生」が発表された大正十三年頃との二度をピークとして挙げることができるのであるが、この一節は、大正十三年四月に発表された「『風流』論」へと繋がる発想の萌芽として重要であるように思われるのである。
 「『風流』論」は、佐藤における「風流なるものを無視し去ることが出来ないところの伝統人としての私、日本人としての私」(214頁)の認識を導入として提示された論である。佐藤は風流の源を「あれ」という言葉で指し示しつつ、次のように述べている。

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『あれ』の真の表現を求めて我々の祖先は端なくも、そこに三十一文字といひ更に十七文字といふ他の民俗のものに比べて最も沈黙に近い文学の様式を見つけ出した。また実体を的確な存在にするための陰影を無視することによつて実体そのものをさへ陰影界のものに化してしまふやうな最も虚無に近い美術の手法を見つけ出した。その詩情がそのやうな表現を要求したからである。沈黙と虚無とに近い。これこそ我々の古人の風流的芸術であつた。(217頁)
 「沈黙と虚無とに近い」こと、佐藤はこれを「風流的芸術」の特性としたのであった。そうした表現形式が要請されたのは、「人間としての意志が極度に於て最小限度である」(235頁)ためである。しかし、全くの沈黙でも、全くの虚無でもなくそれが芸術の表現として成り立ったのは、風流の徒に最小限度ではありつつも「生を享楽」(235頁)する姿勢があったからであった。佐藤は「風流的芸術」をこのように説明しながら、それが「東洋的な宗教的な」何ものかであり、風流の徒が「芸術のための芸術の徒」であったことを強調したのである。この文章もまた、

、芸術論が芸術家論として展開されるという佐藤の議論の特性を遺憾なく発揮したものと言えるだろう。

 しかしこの論が佐藤の芸術論の中で特殊性を持つのは、「日本民族」「東洋文明」といった表現が用いられるなど、日本的「精神」・東洋的「精神」についての考えを定着させようと試みている点にある。ここでは日本の芸術の問題が一挙に「東洋」全般を語ることにまで飛躍しており、社会主義者の弾圧から軍国主義化への道を突き進んでいった大正末年以降の日本の歴史的展開を想起するときその飛躍の示す危険性をも意識させられるのであるが、話を佐藤の意図していた芸術の世界に限定するならば、文学を西洋対東洋という対比のなかで捉え返していこうとする意志がこの時点で明確化したものと考えることができるだろう。日本の近代文学は西洋の文学を輸入することによって成立したのであり、佐藤自身の携わっている文学は日本古来の伝統を切断することで成った西洋由来のものであるはずである。この「西洋」「近代」を相対化するものとして、この時期佐藤春夫は「風流的芸術」を想定し、それを見逃し得ない重要性を帯びたものとして提示せずにいられなくなったことがこの論の基盤にあったようなのであるXJR1200 マスカロード スモークスクリーン ニューシルバーダスト(003H) 通常スクリーン CHIC DESIGN(シックデザイン) (注2)
 話を「散文精神の発生」へと戻そう。「散文精神の発生」においては、「散文精神」のもたらす「混沌の美」は「近代」の所産として語られていたのであった。大正八年当時には散文芸術に「詩」を強く求めていた佐藤が、恐らくそれと正反対のものであるはずの「散文精神」を提唱するに至ったのは、「『風流』論」において古代から繋がる日本民族の「精神」の定着を行ったことを通して、改めて自らの携わっている西洋由来の近代文学そのものを見直そうという発想を得るに至っていたからにほかならない。佐藤にとって、「『風流』論」で提示した「沈黙と虚無とに近い」という東洋芸術の性質は、望ましいものと感じられていた。しかし一方で、自らの携わっている散文芸術は、分量と思想性とにおいてその対極にあるものである。散文芸術による表現を継続していく以上は、散文芸術自体の持つ特性を理解し、それを積極的に肯定していくほかない──「散文精神の発生」における佐藤の論理の根底には、こうした発想が見え隠れしているように思われるのである。
 では何故それが詩と散文との区分けという形において提示されることになったのか。再び他の文章を見てみることにしよう。佐藤は大正八年十月発表の「詩人に就て」において次のように書いている。
散文は歩行する文章である。詩は舞踏する文章である。散文は出発点がある、目的地がある。詩は出発点がやがて目的地で、それは行き着くといふことを目的にしてゐない。故に散文は実用的で、詩は無用である。それ丈け詩はロマンティックである。(110頁)
 また、「散文精神の発生」の一年近く後に発表された「僕の詩に就て 萩原朔太郎君に呈す」(大14・8)には次のようにある。
僕の散文と僕の韻文とは同一作者の手になつてしかも必ずしも同一世界ではないつもりだ。(中略)古情を愛した時だけ僕は歌ふ。僕の詩は稀で、大てい古語で綴られてゐるのはこの理由による。(中略)昨日の思ひ出に僕は詩人であり、今日の生活によつて僕は散文を書く。詩人は僕の一部分である。散文家は僕の全部である。さうして追々と全部を表はしてくるつもりである。(330頁)
 「実用的」であり「今日の生活」と密着した散文、「無用」であり「古情」と結びついた「ロマンティック」な詩。詩人兼小説家である佐藤は、詩と散文とに対するこうした発想上の区分を予め持っていたのであった。この区分に則って言うならば、「『風流』論」は「無用」の「古情」に対する愛着から執筆された文章であり、一方「散文精神の発生」は、「今日の生活」と密接に関係を持ち、「僕の全部」を投影すべきものとして想定されている散文の積極的価値を示そうとする意欲から書かれた文章ということになるのではないだろうか。「『風流』論」と「散文精神の発生」とは同一作者の手になる論ではあるものの、前者は「詩人」としての佐藤春夫、後者は「散文家」としての佐藤春夫の意識がそれぞれ強く働いていることによって、全く異なる主題の文章となったのである。
 「散文精神の発生」が「詩」と「散文」との区分を明確にしようとする志向を強く示していたのは、佐藤がもともと持っていた両者の使い分けを文学史的に学的に定着させようという発想によるものであった。佐藤はここで「詩的精神」と「散文精神」とを対立させ、「散文精神」を高調することを意図していたわけだが、かといって「詩的精神」が否定的に捉えられていたわけではないことに注意しなくてはならない。詩人としての佐藤春夫が「詩的精神」に基づいた詩を肯定していたことは言うまでもないが、彼は散文芸術内部においても、「散文精神」でなく「詩的精神」に基づいた作品が存在することを認めていたのである。そのことは、「散文精神の発生」と同時に発表された「思想なき文芸」(大13・11)という文章に明らかである。
小説の場合は、抒情詩などよりはずつと世界が広いので、思想であらうが、哲学であらうが、問題であらうが、それが沢山ふくまれ得ることは本当で、抒情詩といふものが、ごく一面的な狭いものとすれば、小説は文芸の最も広い領土で、抒情詩を仮りに感情によつて統一された庭園的自然とすれば、小説はあらゆる森羅万象をふくむ世界、大自然そのままで、従つて抒情詩などよりは、所謂思想などもどつさりとあるのが本当らしいのだが、然し大自然のなかに庭園的な景色もあり得る如く、小説の中に抒情詩的な小説もあり得るので、それを特長にした小説は、抒情詩が文芸的に価値のないものでない限り、やつぱりそれ相応の文芸的価値はある筈ぢやなからうか。それを時代が好悪するのは別問題だ。(318頁、傍点引用者)
 佐藤は、同時代を「詩的精神」よりも「散文精神」の方が重視される時代だとする認識を持っていたようである。しかし、だからといって「詩的精神」が価値のないものになったと考えていたわけではない。「散文精神の発生」のみからは佐藤が「散文精神」を強調している印象が強く、「詩的精神」に批判的であるかのように錯覚させられるが、それは「散文精神」と散文芸術の独自性が未だ認知されておらず、正当な評価を得ていないことに対する批判が強く表明されているからにすぎないのである。
 この文章の中でもう一つ注目されるのは、次のような一節である。
文芸の中に真の思想あること素よりよし、それは『美』を持つてゐるから。文芸の中に力あること素よりよし チューブレスタイプ KR20A KR20A KAISER 235/45ZR17 94W KENDA(ケンダ) 1本、力もまた『美』だから。しかし、たとひ何であらうとも、『美』のなき文芸だけは 、僕にはお断り。(319頁)
 ここからは、佐藤が文芸作品の芸術的価値を何に求めていたかを明らかに見てとることができるだろう。佐藤は、芸術に不可欠なものとして終始一貫して「美」を想定していたのであった。「詩的精神」に基づく作品であろうと、「散文精神」の盛り込まれた作品であろうと、「調和」の「美」、あるいは「混沌の美」といった「美」の存在が作品の価値を決めていることに変わりはない。芸術作品の価値を決めるのは作品の表現から看取される「美」であり、作品にその「美」を与えているのが芸術家主体の「精神」なのであった。
 このように考えてきたときに了解されるのは、この場合の「精神」とは、芸術家自身の人格といった生身の芸術家の属性であるというよりは、芸術作品の表現を通して抽象的な概念として措定されているものだということである。佐藤の繰り返し述べている「精神」とは、作品の示す「美」を通じて、表現そのものから看取されるものとして論じられていたのである。

       三

 広津和郎、そして広津が依拠していた菊池寛によって問題とされていたのは、芸術作品の「内容的価値」、「人生諸活動との交渉」ということであり、それは主として現実生活に題材をとるべきという発想を前提とした提言であった。そこでは芸術とは何かという問いは回避され、芸術を社会と密接な交渉を持つものとして位置づけようとする志向に基づいての提案が行われていたのである。この広津の論において散文芸術が特権的に扱われていたのは、社会、生活、実人生などとの関わりを密にすべきという観点から芸術全般を見渡したときに、散文芸術がその課題に適合する性質を持つことが意識されたためである。繰り返しになるが、文芸作品の芸術的価値の探求から同様の主張に行き着いた佐藤とは出自を全く異にしている。
 広津は「散文芸術の位置」において「散文芸術は、直ぐ人生の隣りにいる」と述べ、「右隣りには、詩、美術、音楽というように、いろいろの芸術が並んでいるが、左隣りは直ぐ人生である」(『広津和郎全集第8巻』436・437頁)と散文芸術の「位置」を設定している。このように芸術の各ジャンルを横軸に並べてその位置を把握しようとする動きは広津に限らず同時代の他の文学者にも共通する発想であったが(注3)、広津の場合この直観は人生との関わりの密接さにおいて散文芸術のみを特権化し、そのことによって社会問題と文学者との関係が取り沙汰されていた同時代の文壇にあって、散文芸術の地位を確保しようとすることに繋がったのである。
 こうした形で散文芸術そのものの持つ社会性を再確認していこうとする動きの背後には、作家自身の生の現実性を重視する発想が潜んでいるように思われる。菊池は「文芸作品の内容的価値」(大11・7)において文芸作品が「題材として、人生を直接に取り扱ひ得る」ことを述べ、それを通して「人生と交渉し得る」ところに文芸作品の特権を指摘していた。こうした発想においては、散文芸術が空想的な世界を構築し得ることが無視され、作品を通して現実生活と人生の諸相とを描き出すことが理想とされている。菊池や広津の唱えた説は同時代の作家たちの抱えていた課題から引き出された帰結ではあったものの、文芸作品の持ち得る多様性を抑圧する傾向を帯びていたという点で、芸術論としては歪んでいるとも言える。散文芸術が現実を描くことに長けているにしろ、現実のみを描かなくてはならないという必然性自体は存在しないのである。にも関わらず彼らがそれを理想化したのには、作品の表現そのものに「美」を感じるのでなく、作品内の記述を現実社会や現実生活の写しと捉えて、写された題材そのもののリアリティによって作品を評価しようとしていたからにほかならない。
 「現実」や「人生」を描くべきとする理念は、題材の持つリアリティをより一層切実なものとして追求していく方向を示唆していたのであり、題材を作者自身の生活や実人生にとるべきである、散文芸術は作者自身を主人公とするのが自然であるという命題へと擦り変わっていく契機を予め孕んでいたのであった。大正十四年に心境小説論争が起こるが、これは、散文芸術論争までに準備されていた題材としての現実や人生と作者との関わりについての方向性を正確に辿る形で実現した論争であったと言うことができる。久米正雄は「『私』小説と『心境』小説」(大14・1)において、次のように書いている。
結局、凡ての芸術の基礎は、「私」にある。それならば、其の私を 【DEGNER[デグナー]】 ワッペン付き キッズ ジャケット 13WJ-1KS ブルー/120、他の仮託なしに、素直に表現したものが、即ち散文芸術に於いては「私小説」が、明に芸術の本道であり、基礎であり、真髄であらねばならない。(『久米正雄全集第13巻』復刻版・本の友社、548頁)
 作者自身の人生を題材として描くことが散文芸術の「本道」であると、久米は主張している。これは明らかに、菊池や広津の論を引き継ぎ、それを「ねばならない」という主張にまで展開させることで成ったものと言えよう。大正末年の心境小説の隆盛は、複数の論争において示されていた一つの発想の系譜が行き着く先であったのである。
 では一方、芸術的価値としての「美」を強調し、文学作品の芸術性を問うという姿勢において菊池・広津とは系譜を異にしていた佐藤の議論は、その後の文壇の動静に対してどのような影響をもたらしたのであろうか。
 佐藤は、大正十三年十~十二月に発表された「秋風一夕話」において、志賀直哉の作品に言及して次のように述べている。
例へば「和解」などの文章を見てゐると、漢文を読むやうな線の太い、雄勁な、それでゐてコクのあるあんな味はちよつと外国文学にも例がない(中略)。ただ文体だけではなく、あの極く淡泊な世界を飽くまでも写実的にしかも密度をもつて描き出して、詩のない世界をそのまま少しも詩のないやうに取扱ひ、現実の一角をそのままに切り取つて忠実に描き出す。心を明鏡のやうにして初めてそれだけのものを写し出すので、気品を湛へて沈静なさうして底力のあるこのやうな境地を開拓したのは今迄皆んなも認めて来たとほりで、少し異を樹てて見たいといふ悪癖のある僕にも、異の樹てやうもない程である。(『定本佐藤春夫全集第19巻』296頁)
何にしても一とほりは先づ、志賀氏の仕事が完成に近いものだといふことを認めなければならない。さうして、所謂心境小説なるものは志賀氏の作品などから期せずして出発してゐるとも言へるやうな気がする──尤も一般的に心境小説はより多く写実主義的で主観的で詩であるのに志賀氏は飽くまでも写実主義で散文的で客観的だが、ともかくも志賀氏は我が国の小説界に一つの典型を作り、しかもそれは欧羅巴からの輸入ではなく、全く世界的独創である点は間違ひない。(296頁)
 ここでは「欧羅巴からの輸入ではなく、全く世界的独創である」ということが志賀直哉の功績として賞賛され、しかも志賀の文体の特徴としては「漢文を読むやうな」と、東洋の文学の系譜が辿られている。これは、「詩のない世界」を「写実的に」描くという、「散文精神の発生」の議論で言うところの「散文精神」をまさに体現した作家でありつつ、「西洋」「近代」的でない東洋の文化伝統をも引き継いでいる存在として、志賀直哉が浮上していると考えることができるのではないだろうか。佐藤は「『風流』論」と「散文精神の発生」とを直接に接点を持たないものとしてそれぞれに執筆していたのであった。しかし佐藤はここにおいて、その双方の議論を統合し得る東洋的な散文芸術家として、志賀直哉を特権的な位置に置いてみせたのである。

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 この引用箇所でも述べられている通り、志賀は心境小説という語を冠して語られることの多い作家である。同時代に心境小説の代表的作家と目されていた人物としては他に葛西善蔵が挙げられるが、志賀も葛西も、文芸批評において「東洋的」「禅的」といった表現によって語られることが多かった(注4)。心境小説=東洋的、といった理解が全文壇的に共有されていたのであるが、彼らが高く評価された根拠とは、東洋的・日本的であり且つ散文精神を体現した散文芸術である、という形で対立項としての東洋と西洋とが矛盾なく統合されていた点にこそあったのではないだろうか。佐藤春夫の芸術論の示している軌跡は、同時代の文壇全体の向かっていた方向とも強固に繋がっている。
 先に、作者自身の生の現実性に依拠する発想が心境小説の隆盛へと行き着いていたことを指摘した。しかし、それとは対照的な立場をとっていたはずの佐藤もまた、東洋的なものを求める志向と「散文精神」を重視する発想とを統合することによって、奇しくも同じく心境小説の作家を賞揚するに至っていたのである。大正末期の私小説・心境小説の隆盛はその後の文学史上の展開を考える上でも重要な結節点となっているが、それは、相対立するかにも思われた複数の流れが一つの大きな流れを作り出すかのように成立した現象であったと言えるだろう。
 

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(注1)広津は「散文芸術の位置」の冒頭で内容的価値論争における里見?の主張に批判を加えながら、「芸術の人生的価値が軽く見られていいかどうかということになると 【USA在庫あり】 メンフィスシェード Memphis Shades ブレットフェアリング用取付金具 プレートのみ 02年-08年 VTX1800 黒 2321-0360 HD店、自分には疑問が湧く」(『広津和郎全集第8巻』434頁)と述べている。この「人生的価値」という表現が、菊池の言う「内容的価値」「生活的価値」を踏まえて用いられていることは明らかであろう。  (もとのところへ)

【アクレ/acre】 PORSCHE BOXSTER(ボクスター) 981 等にお勧め PC3200 [リア用] 左右セット レース用ブレーキパッド 型式等:3.4 BOXSTER GTS* 品番:β928*1 (注2)ここでは議論を佐藤の東洋的芸術への志向に限定しているが、日本的・東洋的なるものへの関心は佐藤に限らずこの時期の文壇全体に見られるものであった。山本芳明氏は「『心境小説』の発生──正宗白鳥復権の背景を読む──」(「学習院大学文学部研究年報第45輯」平11・3)において、大正期後半の文壇に見られた〈日本〉と〈西洋〉、〈東洋〉と〈西洋〉という対比をとる言説パターンを詳細に検討している。  (もとのところへ)

(注3)例えば、芥川龍之介が「文芸一般論」(大13・9?14・5)において「今小説、戯曲等を文芸の右に位するものと考へ、又短歌、抒情詩等を文芸の左に位するものと考へるならば、その他の種々の文芸はまづこの中間に燦然と並んでゐると言はなければなりません。」(『芥川龍之介全集第11巻』岩波書店、282頁)と述べていることなどが指摘できる。  (もとのところへ)

(注4)葛西の作品は「東洋流のデカダン的な詩をひそめた随筆のやうな小説」(相田隆太郎「二月の文壇を評す」、大12・2・8「読売新聞」)、「禅的ハイカラ味」(「新潮合評会第16回」久米正雄の発言、大13・8「新潮」第41巻第2号)などと評されており、作風への賛否に関わらず、東洋的であるとする見解においては諸家が一致しているように思われる。また、志賀に関しては芥川龍之介が「リアリズムに東洋的伝統の上に立つた詩的精神を流し込んでゐる」(昭2・4「文芸的な、余りに文芸的な」、『芥川龍之介全集第15巻』157頁)と述べているのは余りに有名であろう(なお、

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、芥川の用いている「詩的精神」の概念については修士論文において論じた)。  (もとのところへ)

 

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